オーストラリアのカーボンクレジット制度が失敗した理由とは

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一般社団法人カーボンニュートラル機構理事を務め、カーボンニュートラル関連のコンサルティングを行う中島 翔 氏(Twitter : @sweetstrader3 / @fukuokasho12))に解説していただきました。

目次

  1. オーストラリアの環境への取り組み
    1-1.2050年カーボンニュートラル達成
  2. オーストラリアのカーボンクレジット制度
    2-1.温室効果ガス排出量取引制度「GGAS」
    2-2.セーフガード・メカニズム(カーボンクレジット)
  3. オーストラリアのカーボンクレジット制度の現状
    3-1.HIRプロジェクト
    3-2.「Communications Earth & Environment」による検証
  4. カーボンクレジット制度が失敗した理由
    4-1.クレジット対象地域の潜在的な問題
    4-2.透明性の欠乏
  5. まとめ

近年、オーストラリアでは気候変動問題が原因とされる長期間の干ばつや大規模な森林火災、豪雨による大洪水が頻発し、人々の生活や経済に大きな被害をもたらしています。このような状況の中、オーストラリアでは原生林の再生を通じた温室効果ガス削減事業が進められており、これはオーストラリアで最も一般的なカーボンオフセットテクノロジーとして知られています。

しかし、2024年3月、ネイチャー・ポートフォリオが提供するオープンアクセス・ジャーナル「Communications Earth & Environment」において、衝撃的な記事が公開されました。

具体的には、乾燥地および半乾燥地における182のプロジェクトを分析した結果、そのほとんどのプロジェクトで現在の状況が改善されていないことが明らかになりました。また、これらのプロジェクトを通じて作成されたオフセットを購入した企業が、主張する通りに気候への悪影響を削減できていないことも示され、大きな波紋を呼んでいます。

そこで今回は、オーストラリアのカーボンクレジット制度について、その概要や、期待された効果が得られずに失敗してしまった理由などを詳しく解説します。

1.オーストラリアの環境への取り組み

1-1.2050年カーボンニュートラル達成

オーストラリア気象局の発表によれば、オーストラリアの気温は1910年から2020年までの間に平均で1.44±0.24℃上昇したと報告されています。オーストラリアでは近年、洪水、山火事、干ばつ、沿岸部の高潮といった異常気象による被害が頻発しており、気候変動に対する懸念がますます高まっています。

気候変動対策は2022年5月の連邦議会総選挙においても大きな争点となりました。当時のモリソン(Scott Morrison)保守連合政権は気候変動に対する取り組みが消極的であると批判される一方、アルバニージー(Anthony Albanese)労働党党首は気候変動対策を優先課題に掲げて多くの支持を得た結果、9年ぶりの政権交代が実現しました。

労働党による連邦政府は2022年6月、パリ協定に基づく温室効果ガスの排出削減目標を国連に提出しました。この中で、温室効果ガス排出量を2030年までに2005年比で43%削減し、2050年までにカーボンニュートラルを実現する目標を定めています。さらに、2022年9月には「気候変動法」を制定し、これらの目標を法制化しました。この法律では、気候変動を所管する政府部局に対する目標達成の進捗管理や、気候変動大臣の毎年の議会報告が義務付けられるほか、連邦政府機関が同法の法的要件を順守することも求められています。最新の連邦政府の報告書によると、2022年度(2022年7月~2023年6月)の温室効果ガス排出量(CO2換算)は前年比0.8%増加し、特に発電所などのエネルギー転換部門が全体の32.6%を占め、排出量が最も多いことが明らかになりました。しかし、2005年度の排出量と比較すると、2022年度は24.5%減少しており、2030年の目標である43%削減の半分を達成しています。

このように、オーストラリアでは政府を中心に脱炭素への取り組みが進められており、2050年のカーボンニュートラル達成を目指して様々なアクションが活発化しています。

次の項では、オーストラリアにおけるカーボンクレジット制度について詳しく解説していきます。

2.オーストラリアのカーボンクレジット制度

2-1.温室効果ガス排出量取引制度「GGAS」

オーストラリアでは、ここ20年ほどで、カーボンオフセットが気候政策の中心的な存在となっています。

実際、2003年から2012年までの間には、ニューサウスウェールズ州およびオーストラリア首都特別地域において、世界初となる州レベルでの「強制炭素取引制度(Greenhouse Gas Abatement Scheme:GGAS)」が設けられ、電力の生産や消費に伴う温室効果ガスを削減することが目標として掲げられました。具体的には、削減目標に拘束力のある制度として、2012年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で5%削減することを目指すもので、実際、GGASでは2006年に20百万tCO2ものクレジット(225 百万豪ドル=約210億円)が取引されたということです。

また、ニューサウスウェールズ州の電力関連業者は、GGASへの参加が義務付けられており、ニューサウスウェールズ州内における電力販売シェアに応じて、それぞれの排出削減量についての目標値が設定されているということです。もし目標値に届かなかった場合は、温室効果ガス削減プロジェクトで生成されたカーボンクレジット「NGACs(NSW Greenhouse Gas Abatement Certificates)」を購入することで、オフセットを実行する必要があります。

2-2.セーフガード・メカニズム(カーボンクレジット)

オーストラリアでは、GGASのほかに、2014年に設立された「排出削減基金(Emissions Reduction Fund:ERF)」も重要な脱炭素対策の一つとして知られています。

排出削減基金とは、参加を希望する個人や企業が申請し、8つの対象分野で排出削減プロジェクトとして認証・登録されると、排出削減量に対して「豪州カーボンクレジット(Australian Carbon Credit Unit:ACCU)」が発行される制度です。具体的には、排出量が二酸化炭素換算(tCO2-e)で1トン削減されるごとに1ACCUが付与されます。個人や企業は獲得したACCUを連邦政府や購入希望者に売却できます。

また、このERFを構成する制度として、2016年7月からは「セーフガード・メカニズム(Safeguard Mechanism)」が運用されています。これは、温室効果ガスの排出上限値「ベースライン」を設定する制度で、2023年4月には「セーフガード・メカニズム(カーボンクレジット)改正法」が制定され、内容が強化されました。改正法では、年間10万トン以上の温室効果ガスを排出する発電事業を除く215の大規模排出施設からの排出を、2023年7月から毎年4.9%ずつ削減することが定められ、脱炭素に向けた動きが加速しています。

次の項では、オーストラリアのカーボンクレジット制度の現状を踏まえ、思うような効果が得られなかった理由などについて詳しく解説します。

3.オーストラリアのカーボンクレジット制度の現状

3-1.HIRプロジェクト

近年、オーストラリアでは、長期間の干ばつや大規模な森林火災、豪雨による大洪水が目立っており、人々の生活や経済に多大なる被害をもたらしています。

こうした問題の解決策の一つとして、オーストラリアでは特に原生林の再生を通じた温室効果ガス削減事業が進められており、現在オーストラリアで認められている植生カーボン事業の中で最大シェアを誇る、最もメジャーな二酸化炭素削減手法として広く認識されています。具体的には、家畜の放牧方法を改善することによって原生林を再生させる「Human-Induced Regeneration」、通称「HIR」と呼ばれる手法が用いられており、プロジェクトに参画した事業者は、HIRによって大気中の二酸化炭素を吸収および固着することで、政府が公式に認証するカーボンクレジットを獲得できるというシステムになっています。

HIRプロジェクトは、2023年6月までに3,700万クレジットを獲得しており、制度下での発行のおよそ30%を占めていることが分かっているほか、およそ4,200万ヘクタールに上る土地がプロジェクトに利用されており、これは日本の面積よりも広い大規模なものとなっています。さらに、2023年6月30日時点で、HIRプロジェクトは世界第5位を誇る自然ベースのオフセットタイプとなっており、抜群のシェアを記録しています。

3-2.「Communications Earth & Environment」による検証

2024年3月、ネイチャー・ポートフォリオが提供するオープンアクセス・ジャーナル「Communications Earth & Environment」において、衝撃的な記事が公開されました。

乾燥地および半乾燥地における182のプロジェクトを分析した結果、樹木の被覆がほとんど改善されていない、または後退していることが発見されたほか、これらのプロジェクトを通じて作成されたオフセットを購入した企業が、主張する通りに気候への悪影響を改善できていないことなどが明らかになったのです。Communications Earth & Environmentでは、下記に挙げる2つの指標を使用して、HIRプロジェクトのパフォーマンスを評価したということです。

  1. HIRプロジェクトの認定地域における森林被覆および「木質被覆」(森林またはまばらな木質被覆の地域)の増加の程度。
  2. HIRプロジェクトのクレジット対象地域における森林および樹木被覆の変化が、各プロジェクトのペアのコントロールにおける傾向を反映している程度。

①については、HIRプロジェクトのクレジット対象地域における木質バイオマスの増加見込みの代理指標になるということで、クレジット発行データと組み合わせることによって、過剰クレジットリスク(=隔離された二酸化炭素がクレジット化された隔離量よりも大幅に少ない可能性があるかどうか)の指標として機能すると説明されています。

②については、HIRプロジェクトのクレジット対象地域における森林および樹木被覆の変化が、そうでなければ発生したであろう変化(=プロジェクト活動または降雨量の変動などの他の要因に起因する変化)に対してどの程度追加的であるかの指標にするとのことです。

これらの指標①と②を組み合わせることによって、HIRプロジェクトがオーストラリアの国際的な排出量削減目標にどの程度役立ったかについて検証を行った結果、オーストラリアのHIRプロジェクトによる成果は極めて限定的であることが明らかになりました。

分析対象のプロジェクトは、2013年12月11日(最初のHIRプロジェクトが登録された日)から2022年6月30日までの期間において2,740万クレジットを獲得しており、人為的な森林再生活動によって、クレジット対象地域におけるかなりの割合の樹木の被覆が改善していることを示唆していますが、実際にはこのような事実はないということです。

プロジェクトの登録時点では、クレジット対象地域のほぼ50%に樹木の被覆があったと報告されており、これは、ほとんどのプロジェクトが、既存の植生が大量に存在していた土地で恒久的な同齢の天然林を再生しようとしていることを示しており、既存の植生との競合によってさらなる森林再生が制限される可能性があるため、問題があると指摘しています。

研究期間中、クレジット対象地域の樹木被覆の変化は比較的少なく、約80%のプロジェクトは、登録から2022年までの期間に樹木被覆に関するプラスの変化がほとんどなかったにもかかわらず、2,290万ものクレジットを獲得しています。

4.カーボンクレジット制度が失敗した理由

4-1.クレジット対象地域の潜在的な問題

「Communications Earth & Environment」によると、HIRプロジェクトの根本的な問題は、クレジット対象地域が、これまでの在来植生が全面的に伐採されておらず、森林の炭素貯蔵量を永続的に増加させる能力が一般に小さいと見られる地域、および自然的な変動が大きく、プロジェクト活動の影響を降雨などによる自然由来の変化から切り離すことが難しい半乾燥地域や乾燥牧草地に位置することが挙げられています。HIRプロジェクトにおいて想定された本来の効果を実現するためには、こうした不確実な条件を考慮すべきであるにもかかわらず、今回の件ではそれが無視され、適切な調整が行われなかったため、失敗したと考えられます。

4-2.透明性の欠乏

オフセットクレジットは、クレジットが実際に追加的かつ永続的な削減を実現できる可能性が高いと信頼できる場合にのみ使用すべきであるとされており、その透明性が重要視されています。

しかし、今回の件では、クレジットに関して十分な透明性が確保されておらず、実質的な効果が得られていないにもかかわらず、大量のクレジットが発行され、これらを利用したオフセットが行われる事態となってしまいました。オーストラリアのHIRプロジェクトでは、2013年1月から2023年6月まで、クレジット対象地域の所在地についてのデータは公表されておらず、精査の手が加わっていない状況でした。また、オフセット報告書や監査報告書などについても情報を公表する義務がないほか、HIRプロジェクトにおけるバイオマスの測定についても行う必要がなく、バイオマス測定が自主的に行われる場合においても、それを公表する必要はないとされてきました。このように、オーストラリアのHIRプロジェクトは、その具体的な内容や効果に関して、正確なデータとして公開する必要のないものが多く、透明性が不十分となっていました。

効果的なオフセット制度には、第三者を含む継続的な精査と批判的評価が必要不可欠です。そのため、オフセットプロジェクトのパフォーマンスと完全性を適切に評価するため、必要な情報はすべて公開することで、今回のような失敗を未然に防ぐことができるでしょう。

5.まとめ

オーストラリアでは、最も主要なカーボンオフセット手法として、家畜の放牧方法を改善することによって原生林を再生させる通称「HIR」と呼ばれる方法が用いられています。

しかし、新たに発表された「Communications Earth & Environment」の研究によると、この手法が気候変動問題に対処する上でほとんど役に立っていないこと、またこれらのプロジェクトを通じて作成されたオフセットを購入した企業が、主張する通りに気候への悪影響を削減できていないことなどが明らかになりました。

今回紹介したように、この原因としては、クレジット対象地域の潜在的な問題や透明性の欠乏があると考えられています。カーボンクレジットはその信頼性を十分に確保できなければ、どれだけ発行されたとしても実質的な脱炭素には結びつかないほか、それを利用してオフセットを行った企業にとっても、大きな影響が出てしまいます。そのため、クレジット制度を見直すとともに、プロジェクトを実行する地域の特徴を考慮した上で、第三者を含む継続的な精査と批判的評価を行うことで、透明性の確保されたクレジットを発行することが重要だと言えるでしょう。

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中島 翔

一般社団法人カーボンニュートラル機構理事。学生時代にFX、先物、オプショントレーディングを経験し、FXをメインに4年間投資に没頭。その後は金融業界のマーケット部門業務を目指し、2年間で証券アナリスト資格を取得。あおぞら銀行では、MBS(Morgage Backed Securites)投資業務及び外貨のマネーマネジメント業務に従事。さらに、三菱UFJモルガンスタンレー証券へ転職し、外国為替のスポット、フォワードトレーディング及び、クレジットトレーディングに従事。金融業界に精通して幅広い知識を持つ。また一般社団法人カーボンニュートラル機構理事を務め、カーボンニュートラル関連のコンサルティングを行う。証券アナリスト資格保有 。Twitter : @sweetstrader3 / Instagram : @fukuokasho12