EU新戦略「クリーン産業ディール」と「競争力コンパス」を読む:サーキュラーエコノミーは欧州復権の切り札となるか

地政学的緊張とエネルギー価格の高騰、そして激化する国際競争。未曾有の危機感の中でEUが打ち出した新たな産業戦略は、単なる環境政策の延長線上にない。それは、経済安全保障と産業競争力の再構築を賭けた壮大な構想であり、その核心にはサーキュラーエコノミーという思想が深く根ざしている。この変革の波は、日本企業に何を問いかけ、どのような針路を示すのか。

岐路に立つEU経済 競争力低下への焦燥

欧州連合(EU)は近年、厳しい経済環境に直面している。ロシアによるウクライナ侵攻を契機としたエネルギー価格の高騰は、特に製造業のコストを押し上げ、企業の国際競争力を削いでいる。ドイツの化学大手BASFが2023年にエネルギー価格急騰などを理由に、国内の複数工場を閉鎖し中国への移転を発表したことは、その象徴的な出来事だ。ドイツの産業向けガス料金は過去10年間で倍増したとの報告もあり、産業基盤の揺らぎは深刻だ。

加えて、中国の電気自動車(EV)産業の急速な台頭や、米国のインフレ抑制法(IRA)に代表される国内生産優遇政策は、EU企業にとって大きな脅威となっている。EU域内では生産性の低迷も指摘され、産業空洞化への懸念は日増しに高まっている。こうした状況下で、ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長は強いリーダーシップを発揮し、EU経済の再興に向けた大胆な政策転換の必要性を訴えてきた。

競争力コンパス EU再興への羅針盤

1月26日、欧州委員会はEUの競争力強化と持続可能な繁栄の実現を目指す提言書「競争力コンパス(羅針盤)」を発表した。この提言書は、EUが生産性低迷により失いつつある競争力を、単一市場や高度な人材といった強みを活かして取り戻すための方向性を示すものだ。

競争力コンパスは、注力分野として「イノベーション」「脱炭素化」「安全保障」の3つを特定した。イノベーション分野では、AI、量子技術、バイオテクノロジーなどで産業を牽引し、「EUスタートアップ・スケールアップ戦略」を策定する。脱炭素化では、エネルギーコスト削減とクリーン産業育成を目指す。安全保障では、サプライチェーンの多様化を図り、貿易・投資パートナーシップを拡充する。

これらの実現に向け、5つの主要行動が推進される。具体的には、規制や行政手続きを簡素化する「簡素化」、市場統合を強化し新たな障壁を防ぐ「単一市場に向けた障壁削減」、貯蓄を投資へ転換する欧州貯蓄投資連合を創設する「競争力向上に向けた資金調達」、スキル連合を設立し高度外国人材の誘致を進める「スキルと雇用の促進」、そしてEUと加盟国の政策を統合し競争力を強化する「EU・各国の政策」だ。この競争力コンパスは、EUの新たな成長戦略の基礎となる。

クリーン産業ディール 脱炭素と競争力強化の両輪

競争力コンパスで示された脱炭素化戦略の具体策として、欧州委員会は2月26日、「クリーン産業ディール」を発表した。これは、エネルギー集約型産業とクリーンテクノロジーの2分野に焦点を当て、バリューチェーン全体の強化を通じて、産業競争力強化と脱炭素化の両立を目指す包括的な戦略だ。

クリーン産業ディールは6つの主要施策から構成される。第一に、クリーンエネルギー導入加速と化石燃料依存低減による「エネルギーコストの削減」。第二に、「産業脱炭素化促進法」に基づく公共・民間調達でのEU製低炭素製品の需要喚起。第三に、EUのクリーン製造支援のための短期的な1000億ユーロ以上の「資金調達と投資」。第四に、EU重要原材料センター設立や2026年循環経済法採択を通じた「サーキュラーエコノミーと原材料確保」。第五に、「クリーン貿易・投資パートナーシップ」立ち上げによるサプライチェーン多様化と保護貿易・炭素国境調整メカニズム(CBAM)強化による「グローバル展開と公正競争の確保」。そして第六に、スキル連合創設やEUプログラム「Erasmus+」からの資金投入による「人材育成と雇用創出」だ。

このディールに基づき、3月には「自動車産業行動計画」や「鉄鋼金属行動計画」といった部門別計画も発表され、具体的な施策が動き出している。

サーキュラーエコノミー 戦略的自律性と競争力の源泉

クリーン産業ディールにおいて、サーキュラーエコノミーはEUの戦略的自律性と産業競争力を高めるための鍵として明確に位置づけられた。特に「サーキュラーエコノミーと原材料確保」の項目では、EU域内での原材料供給確保を目指し、EU企業に代わって原材料を共同購入する「EU重要原材料センター」の設立構想が示された。また、2030年までにサーキュラリティを現在の11.8%(2023年時点)から24%に引き上げるという野心的な目標も掲げられた。

この目標達成に向け、2026年には新たな「循環経済法」が策定される予定だ。Zero Waste EuropeなどのNGOからは、この新法においてCBAMの対象拡大やEU排出量取引制度(EU-ETS)の強化、拡大生産者責任(EPR)制度の見直しといった、より踏み込んだ政策を求める声が上がっている

原材料確保の観点では、欧州委員会は3月25日、EU域内の原材料バリューチェーン強化と調達先多様化のため、47件の戦略プロジェクトを選定した。これらのプロジェクトは、重要原材料法の目標達成に貢献し、リチウムやコバルトといったバッテリー産業に不可欠な資源の採掘・加工・リサイクル能力を向上させる。

さらに、2月26日に採択された「オムニバス法案」は、企業の行政負担を大幅に削減し投資を促進することを目的としており、持続可能性報告(CSRD)やEUタクソノミーに関する報告義務の簡素化も含まれる。これにより、企業がサーキュラーエコノミーへの取り組みに注力しやすい環境が間接的に整備されることも期待される。

産業界と環境団体の声 交錯する期待と懸念

EUの新たな産業政策に対し、産業界や環境団体からは期待と懸念の双方の声が聞かれる。ドイツ自動車工業会(VDA)は、自動車産業行動計画について、CO2規制の柔軟性向上を評価しつつも、EV普及に不可欠な充電インフラ整備やエネルギー価格改善といった根本的な課題解決が不十分であると批判した。また、中小企業への配慮不足も指摘している。

一方、環境団体は、クリーン産業ディールがサーキュラーエコノミーを推進し、脱炭素化を加速させることへの期待を示すものの、具体的な目標設定や実行力、そしてグリーンウォッシュへの対策が十分であるかについては注視が必要だとの立場だ。

欧州リサイクル産業連盟(EuRIC)は、鉄鋼金属行動計画に対して、リサイクル材含有率目標の設定や、リサイクル金属の自由貿易維持、リサイクル業者のEPR制度ガバナンスへの参加などを求める提言を発表しており、産業政策におけるリサイクル業界の役割強化を訴えている。

日本企業への示唆 変革を成長の好機に

EUにおける一連の政策転換は、日本企業にとっても対岸の火事ではない。CBAMのような国境調整措置は輸出企業に直接的な影響を与え、エコデザイン規則やDPP導入はサプライチェーン全体での対応を迫る。しかし、これらの変化は単なる規制対応コストの増加と捉えるべきではない。

むしろ、サーキュラーエコノミーを軸とした事業変革の好機と捉えるべきだ。例えば、デンソーはCatena-XのEcoPass認定を日本企業として初めて取得し、バッテリーパスポート対応への準備を進めている。豊田合成は、廃車から回収したプラスチックを高品質な自動車部品に再生する水平リサイクル技術を実用化した。これらの動きは、EUの規制動向を先取りし、新たな競争優位性を確立しようとする意志の表れだ。

日本企業は、EUの政策動向を精密に分析し、自社の事業特性と照らし合わせながら、サーキュラーエコノミーを経営戦略の根幹に据える必要がある。それは、グローバルな視点での技術開発、国際標準化への積極的な参画、そして国内外のパートナーとの連携強化を意味する。変革の波を乗りこなし、持続的な成長を実現するためには、プロアクティブな姿勢が不可欠だ。

編集後記

EUが打ち出す「クリーン産業ディール」や「競争力コンパス」は、単に環境規制を強化するという次元を超え、経済安全保障や産業構造の転換までを見据えた壮大な国家戦略の様相を呈している。その中で、サーキュラーエコノミーが「コスト」ではなく「競争力の源泉」として明確に位置づけられた点は、特筆すべき変化だ。フォン・デア・ライエン欧州委員長が「循環経済法を2026年に策定する」と明言したことは、この流れを決定づけるものと言えるだろう。

【参照記事】
欧州委員会「A Clean Industrial Deal for competitiveness and decarbonisation in the EU」(2025年2月26日)
欧州委員会「An EU Compass to regain competitiveness and secure sustainable prosperity」(2025年1月26日)
欧州委員会「Commission’s Action Plan to secure a competitive and decarbonised steel and metals industry in Europe」(2025年3月19日)
欧州委員会「Commission boosts European automotive industry’s global competitiveness」(2025年3月5日)
欧州委員会「Commission selects 47 Strategic Projects to secure and diversify access to raw materials in the EU」(2025年3月25日)
欧州委員会「Commission simplifies rules on sustainability and EU investments, delivering over €6 billion in administrative relief」(2025年2月26日)
Zero Waste Europe「Circular Economy Act policy recommendations」(2025年2月20日)
EuRIC「EuRIC unveils Circular Economy Action Plan for Recycled Metals」(2025年3月3日)
IHK「Kreislaufwirtschaft im Rheinland hat gro?es Potenzial IHK-Bericht zeigt aber auch schwierige Rahmenbedingungen für „Circular Economy“」(2025年1月27日)
BASF「BASF-Gruppe: Ergebnis 2023 unter Erwartungen – Maßnahmenpaket zur Stärkung der Wettbewerbsfähigkeit des Standorts Ludwigshafen」(2023年2月24日)
Statista「Gaspreise für Industriekunden in Deutschland in den Jahren 2008 bis 2023」(2024年1月25日)
デンソー「デンソー、日本で初めてCatena-XのEcoPass認定を取得」(2025年3月24日)
豊田合成「廃車由来プラスチックの水平リサイクル技術を実用化」(2025年5月20日)

※本記事は、国内外のサーキュラーエコノミー最新動向を発信する「Circular Economy Hub」より転載された記事です。

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Circular Economy Hub Editorial Team

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