トランジション・ファイナンスの現状と課題は?世界の動向とカーボンニュートラルに向けた最新事例も紹介

世界経済フォーラム(WEF)が2023年11月に発表した報告書『Net-Zero Industry Tracker 2023』によると、生産・エネルギー・輸送といった最も脱炭素が困難な産業・セクターが2050年のカーボンニュートラルを実現する為には、総額13兆5,000億ドル(約1,981兆8,212億円)という巨額の投資が必要となります。
参照:WEF「Net-Zero Industry Tracker: $13.5 Trillion Investment Needed to Fast-Track Decarbonization of Key Hard-to-Abate Industry Sectors

これらの産業・セクターが移行に必要な資金を調達する為の金融手法として重要な役割を担っているのが、「トランジション・ファイナンス」です。しかし、多数の主要経済国でサステナビリティ・ファイナンスやグリーン・ファイナンスほど浸透しておらず、今後さらなる投資が必要とされています。

このような中、2024年2月、日本政府が国債としては世界で初めてのトランジションボンド「GX(グリーン・トランスフォーメーション)経済移行債」の入札を実施し、他国がこれに追随する可能性に期待が寄せられています。本記事では、トランジション・ファイナンスの現状とカーボンニュートラルな未来に向けての課題についてレポートします。
※本記事は投資家への情報提供を目的としており、特定商品・銘柄への投資を勧誘するものではございません。投資に関する決定は、ご自身のご判断において行われますようお願い致します。
※本記事は2024年9月25日時点の情報をもとに執筆されています。最新の情報については、ご自身でもよくお調べの上、ご利用ください。
参照:日経新聞「GX経済移行債」14日初入札 企業の脱炭素支援を加速

目次

  1. トランジション・ファイナンスとは?
  2. 「脱炭素化の資金確保」がハードルに
  3. 民間投資の拡大が必須
  4. 市場成長に向けた課題
  5. 欧州・米国・アジアの動向
    5-1.欧州
    5-2.米国
    5-3.アジア
  6. まとめ

1.トランジション・ファイナンスとは?

Transition(移行)×Finance(資金調達)=トランジション・ファイナンスは、温室効果ガス排出量の高い企業(以下、高排出企業)がグリーン移行に必要な資金を調達する為の金融手法です。環境問題に対応することを目的とするという観点では、グリーン・ファイナンスやサステナブル・ファイナンス、インパクト・ファイナンスなどと共通しますが、主に脱炭素化が困難な産業のグリーンインフラ投資を対象としています。

一方で、環境面だけではなく、脱炭素化に伴う潜在的な社会的影響への対処(失業・地方自治体の税収減など)、発行体・借り手の移行戦略及びコミットメントといったガバナンス要素を重視しているという特徴もあります。
参照:CFA Institute「Navigating Transition Finance: An Action List

2.「脱炭素化の資金確保」がハードルに

サステナビリティ・リンク・ボンド(SLB)やサステナビリティ・リンク・ローン(SLL)、トランジション・ボンドなどが、トランジション・ファイナンスの主な資金調達法として活用されています。これらの資金調達法は気候変動移行ファイナンスに大きく貢献している反面、トランジション・ファイナンスへの用途が占める割合は低く、高排出量企業の多くが移行資金の確保に苦戦している状況です。

アラブ首長国連邦の再生可能エネルギー企業Masdar(マスダー)が2023年、高排出セクターのシニア・エクゼクティブ500人を対象に実施した調査では、40%が「2050年までにネットゼロを達成する計画を策定している」と回答したものの、「脱炭素化の予算を十分確保出来る」と答えたのはそのうちの僅か30%。さらに「計画を策定していない」という回答者の53%が、「確実な資金を確保出来ていない」ことを理由として挙げました。

一方、国際資本市場協会(International Capital Market Association:ICMA)が2024年2月に発表したレポート『債務資本市場におけるトランジション・ファイナンス報告書(Transition Finance In Debt Capital Market Paper)』によると、2024年8月現在までに高排出量産業と化石燃料セクターがグリーン・ボンドやサステナビリティ・ボンド、SLBから調達した資金は推定1,190億ドル(約17兆4,748億円)と、両債券の発行残高の3.6%にすぎません。
参照:ICMA「Transition Finance In Debt Capital Market Paper

3.民間投資の拡大が必須

これらの調査結果は、引き続き公的資金の投入が必要となると同時に、民間投資の拡大が不可欠である現状を反映しています。2011~2020年の期間、トランジション・ファイナンスを含む世界の気候変動資金に民間投資が占める割合は半分に留まりました。

民間投資をどの程度増やす必要があるかは、国によって異なります。例えば、欧州連合委員会は「EUの気候目標を達成する為の資金の大半は、民間セクターから調達する必要がある」と予想し、国際通貨基金は「2030年までに発展途上国の気候変動を緩和する為の資金の約80%は、民間セクターから調達する必要がある」と予測しています。
参照:CFA Institute「Navigating Transition Finance: An Action List
参照:ICMA「Transition Finance In Debt Capital Market Paper

4.市場成長に向けた課題

それでは、トランジション・ファイナンスの重要資金源である民間投資を誘致し、市場の成長を促す上で、どのような課題があるのでしょうか。

ロンドンを拠点とする資産運用企業Ninety One(ナインティ・ワン)がアセットオーナーやアドバイザーを対象に実施した調査では、60%がトランジション・ファイナンスの障壁として「信頼性が高く、実現可能な移行計画を有する企業が少ない」ことを挙げました。一方、CFAがステークホルダーを対象に実施した調査では、「トランジション・ファイナンスの重要性に対する市場の認識不足」「信頼性の高い移行計画・情報開示義務の欠如」「統一された分類法・基準の欠如」「リターン・リスクの不均衡性」などが指摘されました。
参照:CFA Institute「Navigating Transition Finance: An Action List

これはつまり、サステナビリティ・ファイナンスやグリーン・ファイナンスと比較すると、多くの国がトランジション・ファイナンスへの取り組みで遅れをとっており、市場の成長を支える環境が整っていないことを意味します。

実際、多数の国においてトランジション・ファイナンスや移行活動の定義が明確にされておらず、移行計画に関する情報開示も義務化されていません。国により基準・分類法・ロードマップが異なり、移行戦略やインパクトのパフォーマンスを効果的に示す指標も確立されていない状況です。このことが、投資リスク・機会の評価を複雑にし、資本フローにブレーキをかける要因の1つとなっています。トランジション・ファイナンスの重要性や移行戦略を理解している機関投資家・個人投資家が少ないという、根本的な問題もあります。

5.欧州・米国・アジアの動向

一方で、多数の国・地域が移行計画の信頼性を高め、市場の透明性・安全性を確保する目的で、ガイダンスの導入・タクソノミー(事業活動の環境的持続可能性を評価する為の分類システム)の活用といった、多様な取り組みを進めています。以下、欧州・米国・アジアの動向を見てみましょう。

5-1.欧州

欧州連合(EU)は、2050年までのカーボンニュートラルを目指す包括的計画「欧州グリーンディール(2019年12月発表)」の実施に向け、2021年から2030年の期間、年間5,200億ユーロ(約83兆8,586億円)を投じる計画です。投資を促進する手段の一つとして、トランジション・ファイナンスの重要性を明確にし、その概念を様々なサステナビリティ及びグリーン関連規制フレームワークに盛り込んでいます。

この中には、「EUタクソノミー」、企業活動による人権・環境への悪影響の防止・是非を、特定の企業に義務付ける「企業持続可能性デューデリジェンス指令(Corporate Sustainability Due Diligence :CSDDD)」、グリーンボンド市場の信頼性・透明性を高めることを目的とする「EUグリーンボンド基準(European Green Bond Standard:EUGBS)」などが含まれます。
参照:Baker Mckenzie「Transition Finance:Briefing Update
参照:E3G「The untapped links among EU transition finance, climate risks and public funding

2023年6月には、持続可能な金融パッケージの一環として「持続可能な経済への移行に向けた資金調達の促進に関する委員会の勧告(Commission Recommendation On Facilitating Finance For The Transition To A Sustainable Economy)」を発表しました。移行資金の取得或いは提供を希望する市場参加者に、トランジション・ファイナンスの取り組みに関する実用的な提案を提供することが目的です。
参照:E3G「Commission Recommendation (EU) 2023/1425 of 27 June 2023 on facilitating finance for the transition to a sustainable economy

さらに2024年6月には、ESAs(3つの欧州監督当局の総称)が、金融市場参加者・アドバイザーに持続可能な投資に関する情報開示を義務付ける「持続可能な金融開示規制(Sustainable Finance Disclosure Regulation:SFDR)」のフレームワークの見直しを提案しました。グリーンウォッシング対策として金融商品に「持続可能」と「移行」という明確なカテゴリーを導入し、グリーン移行と消費者保護の強化を図る意向を示しました。
参照:ESMA「ESAs propose improvements to the sustainable finance disclosure regulation

5-2.米国

米国は、気候変動対策とグリーン経済への移行を政策の中心に据え、気候関連財務情報開示に関するガイダンスを強化する一方で、民間投資の誘致戦略を展開しています。

例えば、今後10年間で総額3,700億ドル(約54兆3,011億円)を投じる計画の「インフレ削減法(Inflation Reduction Act:IRA)」は、助成金・融資・リベート・インセンティブなどを盛り込み、クリーンエネルギー・プロジェクト及び気候イニシアチブへの資金援助を拡大することにより、民間投資の誘致を狙ったものです。一方で、カリフォルニア州やニューヨーク州が主導し、州レベルでの移行政策を施行しています。
参照:世界経済フォーラム「The 3 key challenges to financing the climate transition — and what to do about them
参照:Climate Policy Initiative「California Landscape of Climate Finance
参照:ニューヨーク州環境保全局「Climate Change Statutes, Regulations, And Policies

2024年7月には米国財務省がトランジション・ファイナンスに関するダイアログ(対談)を開催し、トランジション・ファイナンスの定義・課題と機会などについて、金融機関・市民社会組織・その他の利害関係者の代表と議論を交わしました。
参照:米国財務省「READOUT: U.S. Department of the Treasury Hosts Transition Finance Dialogue

5-3.アジア

エネルギーの85%が化石燃料から生産されており、世界の炭素排出量の半分以上を占めるアジア地域において、トランジション・ファイナンスの必要性は特に深刻です。その為、トランジション・ファイナンス原則の定義やフレームワーク及び指針の作成・統一化など、積極的な取り組みが加速しています。例えば、2023年に発表された「シンガポール・アジア・タクソノミー」は、タクソノミーに「トランジション」というカテゴリーを導入した世界初の事例です。
参照:Fidelity「Asia Leads The Way As Transition Finance Seeks To Plug The Net-Zero Investment Gap

このような中、中国・香港と共に世界のトランジション社債発行市場の過半数を占める日本が、トランジション・ファイナンス市場の成長の先駆者として注目を集めています。

2021年5月に「クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針」が策定されたのを皮切に、日本銀行による「気候変動対応を支援するための資金供給オペレーション」などを展開しました。2024年2月には世界初のトランジション国債「GX経済移行債(正式名はクライメート・トランジション利付国債)」の発行を開始しました。今後10年間に渡り、総額20兆円規模のトランジション国債の発行を予定しており、官民合わせて150兆円の脱炭素投資につなげる計画です。

一方で民間の取り組みも活発化しており、三菱重工業や日本郵船株式会社、日本航空を含む複数の国内大手企業がトランジションボンドを発行しています。
参照:Financial Times「Unloved transition bonds are big in Japan
参照:経済産業省「クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針」「トランジション・ファイナンス
参照:日本銀行「気候変動対応を支援するための資金供給オペレーション
参照:Fidelity「Asia Leads The Way As Transition Finance Seeks To Plug The Net-Zero Investment Gap

6.まとめ

トランジション・ファイナンスは、持続可能な社会・経済への移行を促進する上で極めて重要な役割を担っていますが、解決すべき課題も多数残されています。国際的な協力と透明性の高いフレームワークの構築、そして政府・企業・金融機関・投資家間の協調的なアプローチが、今後の発展に不可欠な要素となるでしょう。

一方で、世界に先駆けた日本の取り組みの成果が注視されます。他国においても徐々に規制・政策を含む環境整備が進んでいることも、大きな期待材料となりそうです。

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アレン琴子

英メディアや国際コンサル企業などの翻訳業務を経て、マネーライターに転身。英国を基盤に、複数の金融メディアにて執筆活動中。国際経済・金融、FinTech、オルタナティブ投資、ビジネス、行動経済学、ESG/サステナビリティなど、多様な分野において情報のアンテナを張っている。