東京証券取引所の株式分布状況調査によると、2022年度の個人投資家の株式保有額は前年から10兆円530億円プラスの131兆2,553億円と統計発表開始後で過去最高を記録しています。
一方で、岸田内閣の主要政策である新しい資本主義では「ステークホルダー資本主義」というステークホルダー全体を重視する考え方などが議論されています。
こうした状況を鑑みると企業には、増え続ける個人投資家へのわかりやすいIR情報の発信はもちろん、企業を取り巻く様々なステークホルダーからも理解を得られるように情報を発信していくことが求められています。今回は、IR専門のデザイン会社インクデザインの代表取締役である鈴木 潤さんに、わかりやすいIR資料をつくるためのデザインプロセスや海外のIR資料デザインの動向、注目すべきIR資料の事例などについて詳しくお話を伺いました。
話し手:インクデザイン株式会社 代表取締役・デザイナー 鈴木 潤さん
- 1974年1月 茨城県日立市出身。
大学進学を機に上京し、卒業後印刷会社にてデザイナーとして勤務する。
印刷会社在籍時、デザインに特化した部署を立ち上げ、主にIR関係の案件を営業し受注する。当時から媒体にとらわれず、コーポレートサイト、IRサイト等のWeb案件にも取り組む。
2013年独立し、インクデザイン合同会社を設立。コーポレートツールに特化したデザイン会社であることを社名を通じても表現している。
2016年から故郷の茨城県日立市に支店を開設し営業を開始する。以降東京都の二拠点生活を行う。
2022年9月インクデザイン株式会社に組織変更し、代表取締役に就任する。
デザインポリシーは「わかりやすさ」
Q.インクデザインさんがIR資料のデザインをする際のプロセスやポイントを教えて下さい。
IR資料のデザインをする際には、まず企業の事業や戦略をきちんと理解した上で、レポートを通じて何を伝えたいのかというエッセンスを汲み取っていくプロセスがとても重要だと考えています。
IR資料って冗長になりがちで難解でもあるので、作成をする際には読み手側の理解コストを下げるという点を特に大切にしています。
たとえば、理解コストを上げてしまう要素として、業界の専門用語だけではなく企業の独自用語やユニークなKPI、スローガンといったものもあります。デザインをする前に、そういったものもきちんと読み解いて理解をする必要があり、その中から何をレポートに入れていくか、それをわかりやすい簡潔な言葉づかいやグラフィックでどう伝えていくか、といったことを考える流れで進めています。
また、売上規模などはわかっていても、業界内でのポジションがわからなかったりするケースもあります。昔は自社の業績や数字だけを伝えるだけでも良しとされていたところが、最近では成長性やビジネスモデルといった定性情報もIR資料で求められるようになってきました。
さらに、レポートの読み手に関しても、投資家だけではなく社内や求職者、顧客などマルチステークホルダー向けのものとして作りたい、というご要望もよくいただくようになってきています。それに伴い、文章量を減らして端的に表現したいという傾向も強くなってきてますね。
Q.実際のIR資料のデザイン事例やその中で感じることについても教えて下さい
たとえば、伝統的な日本企業さんの事例で、中期経営計画やマテリアリティ、人的資本情報といった資料が、開示されてはいるけれどもきちんと連結されずにバラバラとしてしまっているという課題をお持ちの企業さんがありました。
そこに僕たちが入らせていただいて情報を編集し直し、たとえばマテリアリティやビジョンに基づいて人的資本を整理していくといったプロセスで進めていったところ、社内での理解もかなり進んだという事例がありました。
また、今まではフレームワークなどをベースにすることも多かったと思うんですが、最近ではビジョン・パーパスなどに基づいてそこからどうブレークダウンしていくかと考える傾向が強くなってきているように感じます。
さらに、ビジョンやパーパスを、トップが発信するだけではなく役員・マネジメント層が自分の言葉で語ることによって、ビジョンやパーパスがどれだけ組織内に浸透しているか・実効性があるのかを人の言葉で証明する、というケースも多くなってきている印象があります。
ちなみに、ウェブサイトでは統合報告書は決算資料と比べると年間を通して見られている傾向があり、年間のビュー数で考えれば決算資料よりも統合報告書のほうが見られているケースが多いんじゃないかと思います。
取引先や顧客、就職・転職活動中の方など、投資家以外のステークホルダーの方々が会社案内代わりに見ているといったことも想定されるので、今までのようにPDFをただ単に置いておくだけではなくて、簡単な説明ページを作っておくといったこともとても重要なことだと思います。
Q.海外のIR資料のデザインについて感じることもお聞かせ下さい
海外については、統合報告書以外にもプレゼンテーション資料などをよく参考にさせてもらっています。
たとえば、ロンドン証券取引所に上場しているグローバル・ファッションブランド企業やエネルギー大手企業など、世界的に名前が知られているような企業のレポートやプレゼン資料は、やはり美しいと感じることが多いですね。
また、海外のレポートの傾向として、言語でのコミュニケーションが意外と多いなと感じていて、日本ほど図解みたいなビジュアル情報は少ない印象です。
海外のIR資料のトレンドやわかりやすい資料の事例をブログで発信したこともあるのですが、その記事から多くのお問い合わせをいただいたこともあり、みなさんの関心も高いんだなと感じています。
Q.IR資料を「わかりやすいデザイン」にしていく際のポイントを教えて下さい。
ヒアリングシートなどを使ってヒアリングをさせていただくケースもありますが、言葉だけのやり取りだけだと全体像などが見えづらくなるときも少なくありません。そのため、レポートでお伝えするべきエッセンスが抽出できているのかを確認するためにビジュアルで見てから判断しましょう、と提案させていただくことも多いですね。
ビジュアルがあると解像度があがって議論の建設性も高められるので、長期ビジョンや、中期経営計画などは先にビジュアルをつくることで話が進みやすくなると感じています。
また、実際にスライド資料を作成する際はアクセシビリティへの配慮も大切です。2024年4月より障害者差別解消法が改正され、障害がある人に対しての対応(合理的配慮)が義務になることもあり、かっこよさや美しさと同等くらいにアクセシビリティが重要視されるようになってきています。
たとえば、フォント選択からアクセシビリティを考えてみると、エビデンスがある書体はユニバーサルデザイン(UD)のフォントだけです。モリサワのBIZ UDフォントはWindowsに標準搭載されていて、無料でも配布されています。メイリオも読みやすさの配慮がなされているので、アクセシビリティは十分に担保されていると考えています。
また、サステナビリティの文脈だと、デザインも上品な感じになったり頭が良さそうなインテリっぽいアウトプットになったりすることが多いんです。ただ、サステナビリティのような社会全体で考えたり取り組んだりする必要があるものは、一部の限られた人たちだけで考えているだけではいけないのではないでしょうか。たとえば、小学生にもきちんと理解してもらえるくらい、わかりやすいアウトプットじゃないといけないと思うんです。
だから、わかりやすいアウトプットによってサステナビリティの視座を落としたいなと考えていて、IRとかコーポレートコミュニケーションのハードルをいかに下げられるか、ということは常に考えるようにしています。
Q.今後取り組みたいことや注目していることを教えて下さい
IR情報のデザインって、見た目を綺麗にするだけではもう意味がないと思うんです。そのビジネスとか経営にきちんと寄り添って深く理解をしていかないと、実のあるものは作れません。
ちょっと言葉を選ばずに言うと、マーケティングとか商品開発だとパッケージデザインの力が売れ行きを左右するケースもあるかもしれないのですが、コーポレートコミュニケーションだとビジュアルデザインの力だけではうんともすんとも言わない部分があるのを感じています。
だから、僕たちインクデザインとしては本当の上流までたどり着いて、どの情報を・誰に向けて・どう見せていくのか、というところからデザインをしていければと思っています。
また、最近注目しているIR情報の公開手法としては、たとえばメルカリさんは2023年度のインパクトレポートの制作過程などを発信されていたり、ユナイテッドアローズさんはnoteメディアで、統合報告書のここを見てほしいという情報発信をされていたりします。
こういった取り組みを見ていると、アウトプットって何だろうなとか、レポートを綺麗にするのって何なんだろう、ということを感じたりもします。個人投資家の方からの共感を集める意味でも、制作の意図や背景、制作過程の一部を公開することで透明性を高めていく取り組みは今後重要性を増していくのかもしれません。
編集後記
これまでのIR資料は発行することがゴールになっていたというケースも少なくないですが、これからは様々なステークホルダーとより良い関係性を築いていくためにも、作ったレポートをより多くのステークホルダーに届けてきちんと理解してもらうということが重要になっていくと考えられます。
それに伴いIR情報のデザインも、単なるビジュアル面でのデザインを超えて、誰にとっても見やすいというユニバーサルデザインや制作のプロセスデザイン、制作後のコミュニケーションデザインにまで視野が広がってきているように感じます。
今後、より良いIR資料づくりに向けた問いとして「子どもにもわかりやすい統合報告書とは?」「IR資料の作成を通じて社内により良い変化を起こすには?」「IR情報の透明性を高めるためには?」などのテーマの探索が進んでいけば、IR資料の制作と発信を通じて企業の活動はより多くの人に理解され、より大きな共感の輪を生んでいけるようになっていくのではないでしょうか。
HEDGE GUIDE編集部 ESG・インパクト投資チーム
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